以下の本を読んだ。
この本は題名にあるとおり、科学技術社会論に関する論考を集めた本だ。
この本の第2章「ものの見方を変える」(藤垣裕子)では、「固い科学観」という概念が出てくる。
「固い科学観」とは一般の人の科学に対する考え方を表した表現である。科学者にとって、科学とは常に「作動中」であり、変化し続けるものである。教科書が数年後には大きく変わっていたというのも決して珍しい話ではない。
しかし、科学を専門にしない一般の人にとって、このような科学観は存在しない。科学とは確固たる存在で、科学によって明らかになったことは常に正しいのだ、というような考え方を持つ。このため以下のような水俣病に関する問題が発生した。
水俣病の原因物質は、1956年に公式に病気が発見されて以来、さまざまな説が報道され、原因物質の結論は二転三転した。このような状況の中、一般の人の中には、科学とは常に正確な結論を与える学問なのに、なぜこれほど結論が変わるのかについて疑問を抱いた。この結果、科学への不信感を募らせる結果となってしまった。
このように、基本的に、一般の人と専門家の間で科学観が異なる。これを防ぐためには、科学コミュニケーションを通じて、それぞれの科学観のギャップを埋めることが必要であると文中では述べてある。
ただ、専門家ではない人が、「固い科学観」を持っていると考えるだけでは説明しにくい現象も存在するのではないか、と私は提案したい。
例えば、コロナワクチンの問題だ。コロナワクチンとは、2020年冬に武漢から発生し、世界中に猛威を与えたCOVID-19への感染を予防するワクチンである。このワクチンをめぐって、ワクチン接種に賛成の人と反対の人と世界中で意見が対立した。ワクチン接種賛成派の意見は、ワクチン接種することで、COVID-19に感染するリスクを減らし、世界全体でCOVID-19の感染者を減らせるのだから接種すべきという考えであった。一方、ワクチン接種反対の方は、(ワクチンにはマイクロチップが入っていて、国民を管理するために接種させるというものや、ワクチンを接種すると脳が溶けるなどのような明らかな陰謀論を除いて考えると)、ワクチン接種の副反応によって亡くなる人が多いから危険だ、という意見が多い。
確かに、コロナワクチンには、心疾患発症のリスクがあることが報告されている。
また、日本のコロナワクチンに関する予防接種健康被害救済制度では、実際にこれまで、11,305件について審議し、7,458件認定されている。(否認件数は、1,795件)
認定されたものは、軽い症状ものから死亡までさまざまである。
たしかに、7,458件だけをみれば、多いようにも思えるが、日本全国で累計4億3000万回以上コロナワクチンを接種してきたことを考えると、ほんの一部である。
また、ワクチン後の死亡が認定された人の多くは、高齢者でありワクチン以外が死亡原因である可能性も十分にありうる。
他にも、超過死亡数が増加しているのはコロナワクチンによるものではないかという懸念もあるが、今のところ統計的には結論づけられていない。
https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000900468.pdfこのように考えると、現状、コロナワクチンによる副作用によって大勢の人が死ぬとは結論づけるのは難しい。
この意見に対して、「現在の科学がどこまで信用できるかわからないので、今安全だからといって未来も安全とは限らない」と反論するワクチン接種反対の人もいる。たしかに、科学とは最初にも説明したように結論が二転三転する学問だ。今後、ワクチンの危険性が明らかになる可能性もゼロではない。
一方で、私は、このような考えには賛同できない。たしかに、未来のことはわからない。しかし、だからといって、これはこれまで科学が積み重ねてきたものを完全に無視するような態度であるからだ。私はこのような「固い科学観」の反対のような態度を「柔らかすぎる科学観」と名付ける。「固い科学観」のように科学を過剰に信頼するのも問題だが、「柔らかすぎる科学観」のように、これまでの蓄積を無駄にする態度も問題である。
「柔らかすぎる科学観」は、ALPS処理水の海洋放出でも見られた。
2023年8月24日東京電力が、ALPS処理水の海洋放出を開始した。
この放出の際も大きな社会現象となり、賛成派と反対派で大きくわかれた。反対派の意見としては、「海に放出して生態系に悪影響を与える危険性がある」「トリチウムが生物濃縮を起こす危険性がある」といった意見が多かった。しかし、トリチウムは日々自然に発生するものであり、これまでもトリチウムによる悪影響は発見されていない。
「トリチウム以外の核種が残っている可能性がある」という意見もあるが、現状、トリチウム以外の物質が悪影響を及ぼす可能性は現状考えられていない。
これに対しての反論として見られたのが、コロナワクチンの際と同様、「今の科学では安全かもしれないが今後、科学が発展すれば危険性が見つかるかもしれない」という「柔らかすぎる科学観」である。
たしかに、処理水の排出後、何十年後かに悪影響が起こる可能性はゼロではない。しかし、これもこれまでの科学の蓄積を無視しており、賛同はできない。
藤垣さんの「固い科学観」はたしかに一般の人の考え方の一面を捉えていると感じたが、一方で最近の事例をみると、「柔らかすぎる科学観」というものも考えられるだろう。この問題を解決するには、「適切に固い科学観」を醸成する必要があるだろうが、どのレベルの「固さ」が適切であるかはわからない(科学者の科学観が必ずしも、適切な「固さ」だというわけでもないだろう。)
これについては、また考えていきたい。
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