欠如モデルとは、1990年代に提唱された、一般的な市民は科学への理解がまったくないという考えをベースとした理論である。欠如モデルが生まれた背景には、1980年代の「公衆の科学理解増進(PUS)」の運動が生まれたことに発する。PUSは、一般市民が科学に無関心であることから、基礎研究への予算がつかなくなることへの危惧から始まった。このPUSを通じて、専門書は、よりよい科学の情報を得た市民がより、科学が発展することを期待し、その結果基礎研究への予算もよりつきやすくなると考えていた。
この欠如モデルでは、一般市民は科学に興味が全然なく、科学的な知識をほとんど持っていないとされている。そのため、たくさんの時間をかけて専門家が一般市民に対して啓蒙して、科学への興味をもってもらわなければならないと考える。その結果、社会の意思決定に科学的な知見が導入やすくなることが期待されていた。
このモデルは現在、科学の関与という観点では否定されている。今では、一般市民の科学の知識は科学者と同等で、科学コミュニケーションにおいて、一般市民と専門家は同じ立場の存在として扱われなければならないとされている。ただ、一方で、今でも公的機関の取り組みの中には、一般市民に対する科学へのアプローチ方法として、欠如モデルがもとになっているものもある。
今後、一般市民との科学に対する問題のない意思決定には、一般市民との対話が不可欠であると考えられている。つまり、一方向的なコミュニケーションではなく、双方向的なコミュニケーションが求められている。
例えば、トレンチはこの欠如モデルの考えをさらに発展させ、欠如モデルにおける市民へのサイエンスコミュニケーションに加えて、市民とのサイエンスコミュニケーション(対話)、市民どうしでのサイエンスコミュニケーション(参加)の形も提唱した。実際に、最近では対話や参加のような一方的ではないサイエンスコミュニケーションが普及しつつある。
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